政治というと、どのようなことを思い浮かべますか。「難しそう」「おじさんばかり」「投票しても変わらない」という印象を持つ人もいれば、「今の日本には、政治改革が必要だ」「政治活動に積極的に関わりたい」というように政治に対して一家言ある人もいるでしょう。

前回の記事では、高校教科における「政治・経済」でどのようなことを学んでいくのかについて紹介してきました。今回の記事では、「そもそも政治とはどのような営みか」について紹介していきます。

政治の起源はお祭り!?

政治の「政」は、訓読みで「まつりごと」と発音します。つまり、「政」は「祭りごと」なのです。この読み方の一致は、偶然ではありません。古来において、政治はお祭りだったのです。ここでいう、お祭りとは神々を祭り上げ、五穀豊穣などを祈願する営みのことを指します。現代では、「祭政分離」といって「祭礼」(宗教)と「政治」は分離されていますが、古代社会では多くの文明でも「祭政一致」が基本だったのです。

では、政治がお祭りであるというのは一体どういうことなのでしょうか。具体的に考えていくことで、政治と何かの本質に迫っていきましょう。「政治は祭り」ということを最も体現している国の一つが、アメリカ合衆国であるといえます。アメリカの選挙は、国を挙げたお祭りのようなものです。例えば、大統領候補者の演説を取り囲む支持者たちが大統領候補者の発言に対して、大きな拍手をしながら、歓声をあげる光景を多くの方が見たことあるのではないでしょうか。参考として、現大統領であるジョー・バイデンのスピーチを紹介します。まるで、コンサートやスポーツの大会を見ているかのような歓声があがります。なかなか日本では想像できない光景ですよね。

さらに、大統領の就任式も飾り立てられたホワイトハウスで盛大な音楽を伴って、豪勢に行なわれます。バイデン大統領の就任式では、レディー・ガガが国歌斉唱を担当し、ジェニファー・ロペスが歌唱を披露するなど、さながら豪華イベントのような様相を呈します。また、大統領の就任演説の際には聖書に左手を置き、右でを挙げながら「神に誓って」と宣誓することが慣例とされています。このようにアメリカの大統領選挙は、まさにお祭りのような盛り上がりを見せる一大イベントなのです。

このことからわかる「政治の本質」とは一体どのようなものでしょうか。それは、一人ひとりの人間を超えたところにこそ、意思決定の正当性が宿るということではないでしょうか。政治という営みは、集団的な意思決定を伴います。では、その意思決定を誰が行うべきなのか、なぜその人物がふさわしいのかについては「正当性」が必要です。その正当性を担保するのが、例えば「世論」や「神(々)」であるのです。

祭りごと=政とは、人々が集まり、共同の儀礼に参加し、時に熱狂することによって、集団的な意思決定をするためのイベントであるということができるのです。そして、その意思決定を実際に決断する人物に対しては、その人物が自分だけのために意思決定することがないように、「神(々)」の権威の前で宣誓させるのです。

みなさんも、一人の人が一方的にまくし立てて他の人は静かに聞いているだけの意思決定の場よりも、侃侃諤諤と議論し合って、時には紛糾もするけれども、みんなで意思決定をする場の方が、当事者意識も納得感もあるのではないでしょうか。その過程で派閥意識なども生まれるかもしれませんが、「場の盛り上がり」は意思決定にある種の正当性を与えるという感覚は知っている方も多いのではないかと思います。

人間とは「政治的動物」である

このように、政治とは人々が集まって、重要な意思決定をし、それを実行する営みであるということができます。そうだとするならば、「人が集まるところに政治あり」ということができます。もっというならば、「人が集まり、何らかの目的を共有する時、政治が発生する」と言えます。古代ギリシアの哲学者であるアリストテレスは、人間とは「政治的動物」であると評しました。これは、人間は一人では生きていけず、生存のため、よりよい生活のために集団を形成する存在であるという意味です。

たしかに、私たち一人ひとりには得意なことがあります。前に出て話すのが得意な人もいれば、裏方で舞台の準備を整えるほうが好きな人もいます。あるいは、自分の意見を主張することが得意な人もいれば、人の意見をまとめるのが得意な人もいるでしょう。このような多様な特性や考え方を持つ人々が集まってはじめて、スピーチコンテストが開催できます。話す人、まとめる人、舞台を用意する人、広報活動をする人などなど、さまざまな人が集まることではじめて物事は実現します。

まさに「人間は政治的動物」であるわけですが、ここには問題もあります。必ずしも一人ひとりが実現したいスピーチコンテストのあり方は一致しないということです。ここで、人々の意見が対立することになります。一緒に物事を実現しようとする際には、意見が対立することは避けて通れないでしょう。このときに重要になってくるのが、「意思決定をいかにするか」「決定したことをどのように実現させればいいのか」ということです。そして、これは極めて政治的な営みです。

人間は、一人では物事を実現することはできません。それは、一人ひとりで得意なことが異なっているからです。人々の得意なことを組み合わせることによって、はじめて物事は実現するわけですが、ここで問題となるのが「実現した理想像」も異なることが多いということです。そして、そうであるからこそ利害を調整し、意思決定を円滑に行い、決定事項を遂行するための知識や技術が求められるようになるのです。「選挙」「民主主義」「説得術」などは、そのような知識や技術とも言えるでしょう。

政治の最終的な目的は?

人々の利害を調整し、意思決定し、それを実現することが政治的な営みであることは理解していただけたでしょうが、その最終的な目的は一体何でしょうか。人々の利害が満たせたらそれでいいのでしょうか。なぜ、人々の利害を満たさなければならないのでしょうか。もし、一方の利益しか満たすことが出来ないのだとしたら、そちらの利益の方が優先されるというのはどのようにして正当化できるのでしょうか。

このような事柄を考える学問は「政治哲学」とも言われますが、政治哲学の問題は次回以降の記事で詳細に紹介するとして、アリストテレスは「幸福」こそが政治の最終的な目的であると考えました。わたしたちは、「もっとお金が欲しいな」「もっと綺麗になりたいな」「もっと頭がよくなればいいな」と考えたりします。その理由は一体何でしょうか。「お金があればもっと快適な暮らしがおくれる」、「綺麗になれば自分に自信がもてる」「頭がよくなれば、もっと評価される」などの理由が考えられますよね。

では、それらの理由は何でしょうか。このように、「なぜ?」を繰り返していくと、最終的に「その方がいいから」「その方が幸せだから」という答えに辿り着くのではないでしょうか。「なぜ幸福になりたいの?」と聞かれると、確かに何と答えていいかわからないですよね。つまり、幸福はわたしたちの目指す最終地点(テロス)なのです。そして、一人では何も実現することができないわたしたちが協力するのも、最終的には幸福を目指しているから何だとアリストテレスは考えました。

このアリストテレスの考えには批判はあるものの、確かに政治の目的は何かということを考える上で、避けては通ることのできない主張であるように思います。この記事をここまで読まれたみなさんはこの主張についてどう考えますか。

どのような決め方がよい!?

政治の最終的な目標が「幸福」であることを一旦認めると、次にそれを実現する方法が議論すべき事柄になります。つまり、どのように政治的な意思を決めるのがいいのだろうかという問題です。

例えば、「優れたリーダーが決めてくれた方がいい」ということもあれば、「みんなで議論して決めた方がいい」ということもあるでしょう。もしくは、「選挙をして代表を選んだ方がいい」ということもあれば、「みんなが当事者意識をもつためにもくじ引きで代表を選んだ方がいい」ということもあるでしょう。あるいは、「代々重要な役職についてきた家柄の人が専門知識もあるはずなのでいい」という考え方もあるでしょう。

わたしたちの社会では、「国民の意思を代理してくれる政治家を選挙で選ぶ」という「議会制民主主義」という意思決定の仕組みを採用していますが、以上で見てきたようにその意思決定の仕方は一様ではないのです。そして、どのような意思決定の仕方がよいものであるのかについては、時代や文化によって大きく異なっていたのも事実です。この記事では、「決め方」のバリエーションについては細かな解説はしませんが、社会の構成員の多くが納得する決め方には「正当性」が生まれます。適切な方法で決定したことだから、政策内容には納得しないけれども、決め方には納得せざるを得ないという感覚ですね。そして、人々の納得感≒意思決定の正当性が強ければ強いほど、そこには強力な権力が生じます。

権力とは、人々をある方向へと導く力のことといってもいいでしょう。いかに優れた決定であっても、多くの人の納得が得られていなければ、人々は進んでその決定に従おうとはしませんよね。だからこそ、「決め方」の問題は政治的にも重要なテーマであり続けるのです。これは、学校や会社などの組織でも同じことですよね。わたしたちが不満を持つ多くのことは、「決め方」の問題だったりするわけです。このように考えると、政治的な営みは大文字の政治(議会など)だけではなく、身近な生活で頻発していることだということがわかっていただけるのではないでしょうか。

まとめ

今回の記事では、そもそも政治とはどのような営みであるのかについて解説していきました。簡単にまとめると、人間は一人では生きていくことのできない「政治的動物」であり、わたしたちは協力して何かを実現しないといけない存在です。その最終的な目標は人々の「幸福」であり、「幸福」を実現するために適切な「決め方」を考えるのが政治的な営みといえます。

この記事が、政治って何だか遠い存在だなと思っていた方には、政治って意外と身近な出来事だなと思っていただければいいなと思いますし、政治に関心がある方にとっては改めて政治とは何かを考える上での参考にしていただければと思います。

次回以降の記事では、より具体的に「政治を考える視点」を提供していければと思っています。

参考

久米郁男ほか『政治学』有斐閣

ポール・ケリーほか(堀田義太郎 日本語版監修)『政治学大図鑑』三省堂

宇野重規『西洋政治思想史』有斐閣

アリストテレス『政治学』


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