今回は学生が参加した特別授業についてレポートしてくれます。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー皆さんこんにちは、3年のキリシマです。先日特別講師として哲学者の永井玲衣先生にお越しいただき、「哲学対話」なるものを催したので報告します!皆さんは「哲学対話」と聞いて、どんなイメージを抱きますか?僕は事前情報が全く無かったので『万物の祖とは何か?』とか『神は存在するのか』みたいな話をするのかな〜と勝手に想像しておりました。しかし永井先生が行っている哲学対話ではそのようないかにも哲学っぽいテーマは扱いません。なんでも先生曰く「カギカッコ付きの正解がない問い」全般が哲学的命題とみなせるらしく、『マックに行ったときに罪悪感から爽健美茶を注文してしまうのはなぜか?』みたいな身近なテーマ(先生は"手のひらサイズの哲学"と呼称していた)でも十分に哲学対話が出来る!とのこと。永井先生は現在の社会の中で哲学について話し合える場所が少ないという問題意識を抱いているらしく、それを変えたいという思いから学校や企業で哲学対話を催しているそうです。僕は友達や教員とテーマを決めて取り留めなく話すことが好きなので、そういう場を広げようと活動されているのは何だか有り難いなと思いました笑そんな哲学対話ですが、以下のような3つのルールがあります1.良く聞き合う人が話しているときに割って入らないことです。2.自分の言葉で話す一般的には〇〇ですよね、のような他人の言葉を借りて話さない3.人それぞれという言葉で諦めないまあ人それぞれだね、のように考えることを放棄しないこのルールに僕はとても共感しました。近年は話し合いにおいて「相手をいかに論破するか」というのが一つの指標になっている節がありますよね。僕も会話の中でどうやって存在感を示すかを多少は考えているので、「こういうデータがあります(ドヤァ)」とか逆に「人それぞれで良いと思いますよ?」みたいに言っちゃっています、、こと議論・討論であればそれで良いのかもしれませんが、対話においてはノイズになってしまいますよね。それを取り除くためにこのようなルールを設けているのは良い試みだな〜と感心したし、「あれ?実は俺ってあんまり自分の考えを喋っていること無いんじゃね?」と自分の会話スタンスを見直す良い機会になりました。実際、このようなルールがあることで自分から手を挙げないタイプの学生も積極的に対話に参加していたのが印象的でした。みなさんも家庭や学校で「哲学対話」してみてはどうでしょうか!?