科学という営みは、何よりもまず自然科学の発展から始まりました。高校の教科で学ぶ自然科学には、「物理」「化学」「生物」「地学」がありますが、それぞれの分野の解説をしていく前に、大きく科学の歴史を扱いたいと思います。私たちの生活に欠かすことができない科学という営みが、どのように発展してきたのか2回にわたってご紹介していきます。第1回目は古代から中世の歴史、第2回目は近代の歴史に焦点を当てていきます。それでは、科学の歴史の旅へとでかけましょう。科学の起源科学の起源は、古代文明に求めることが可能でしょう。つまり、文明の誕生とともに科学も誕生したと考えることができるのです。そもそも文明は、自然に手を加えて、人工的な環境を構築することです。宮殿を造る、水道などのインフラを整備する、暦を作成するなどなど。人類が生活しやすい環境を人類自身の手によって構築することができるようになり、文明社会が誕生したのです。そして、この文明社会の誕生とともに、科学的知識も必要とされるようになっていきました。例えば、ピラミッドを建築する際には、あらかじめどれくらいの高さになるか測定できていなければそもそもピラミッドなんて巨大な建造物は建築できませんよね。暦をつくるためには、星の正確な位置を知ることができなければなりません。そのためには、星の運行を正確に把握するために道具や知識が必要になります。このように人類社会の文明化の過程で、人間と自然との間でインタラクティブな関係性が発生していきました。そのため、自然についての知識もますます豊かになっていったのです。以上のような経緯から、科学の起源は文明の勃興に求めることができるのです。科学の起源と数学の起源、そして文字の起源にはとても重なりがあります。簡単にまとめると、科学の発展には「数式」「文字」「法則の概念」の三つの要素が必要でした。古代ギリシアの革命わたしたちが親しんでいる学問-教科は基本的に古代ギリシアに淵源があります。科学的な知識と思考法が明確に出現したのが古代ギリシア世界です。古代ギリシアの人々は、「この世界の起源(アルケー)は何か」について議論しました。タレスは「万物の起源は、水である」と主張し、ヘラクレイトスは「万物の起源は、火である」と主張しました。このように古代ギリシアの人々は、「万物の起源」を求め出したのです。そして、そのような自然にある要素から世界の法則やあり方を説明しようとする営みこそが、学問としての科学の起源とも言えます。というのも、人々はそれまで、世界の法則やあり方を神話によって説明していたからです。「洪水や地震は神々によって引き起こされるものである」「恋に落ちるのは神様の仕業である」などはみなさまにとってもなじみがあるかもしれません。もちろん、古代ギリシアでも神々の信仰は重要な文化の一つでした。しかし、神話的思考によって世界の成り立ちを考えるのではなく、水や火などの自然に存在する要素によって世界を説明しようと考えたところに、科学的思考の起源を認めることができるのです。また、古代ギリシア人の特徴は実用をある程度離れ、真理を知るために知的探求を行ったところにもあります。古代メソポタミアや古代エジプトでは、測量や天体観測などの知識-技術が大きく発展していましたが、その知識-技術は主に実用的な目的のために用いられていました。しかし、古代ギリシア人は「知ること自体を目的とする」知的探求を行ったのです。たしかに、万物の起源が水か火か風か原子か、わかったところで私たちの物質的生活はたいして向上するわけではありませんよね。「役に立つ」は置いておいて、知りたいから探求するという実践を自覚的に行ったのが古代ギリシアの人々なのです。その中でも、ソクラテスはその代表的な人物ですね。彼は、知ることそれ自体が目的なのだと考えて、哲学という実践を生み出した人物としても知られています。「万学の祖」アリストテレス古代ギリシアで育まれた自然についての哲学的考察を昇華し、体系化したのがアリストテレスという人物です。アリストテレスは生涯に100冊以上の著作を残したと言われており、哲学・政治学・倫理学・美学・物理学・化学・生物学・地学のように、現代でいう人文社会科学から自然科学に至るまでのあらゆる領域で著作を残し、後世に多大な影響を与えた人物です。アリストテレスは、目的論という立場から、自然界の法則を考えていきました。目的論とは、あらゆる存在者には目的が内在していると考える立場です。誤解を恐れずにわかりやすくまとめるならば、「この世のすべてには生まれてきた理由とその最終的な目的がある」と考える立場です。例えば、人間の究極的な目的は「幸福」であり、われわれはみな「幸福」になるために生まれてきたということです。このような立場から、あらゆる事物には目的があり、その目的が連なることで自然の運動は生じていると考えました。例えば、「木は机になる可能性を秘めている」→「机という目的が達成される」→「机は人の役に立つという可能性を秘めている」→「役に立つという目的が達成される」→「役に立たなくなった机は灰になる可能性を秘めている」→「灰になるという目的が達成される」→「灰は養分になるという可能性を秘めている」→「養分になるという目的が達成される」→「養分は木を成長させるという可能性を秘めている」→「木を成長させる」(以下略)というような連鎖的な関係性があると考えたのです。このアリストテレスの考え方は、いわゆる「近代」(17世紀ごろ)まで主流の自然観を形成しました。たしかに、この目的論的自然観は、ある種の自然法則を「観察できる事柄」(木、机、灰など)によって説明することができますよね。このように、観察できることからこの世界の法則を説明しようとする態度こそが、科学的態度の源流とも言えるのです。アリストテレス以降も古代ギリシア人は大きな科学的成果を残しています。エラトステネスは地球の周の測定し、アリスタルコスは地動説の提唱し、プルタルコスは太陽系を証明し、アルキメデスはてこの原理を発見しました。このように、古代ギリシア世界は現代科学の基礎を作り上げたと言っても過言ではありませんね。アラビア世界の功績と聖書と哲学の融和ギリシア北部のマケドニア出身のアレクサンダー大王が大遠征を行い、エジプトや現在の中東地域にもその勢力を広げると、ギリシア文化が世界各地へと伝播していきました。その過程で、アラビア世界にもギリシアの知見が継承され、アリストテレスの研究が進んでいきます。代表的な人物がイブン=ルシュドやイブン=シーナーです。世界史で習ったことがあるという人も多いのではないでしょうか。その一方で、現在のフランスやドイツなどの西欧社会は混乱が続いており、古代ギリシアの知識が失われていました。西欧社会の起源は、古代ギリシアとローマに求めることができるというほどですが、実はアリストテレスの功績は西欧社会には受け継がれていなかったのです。むしろ、前述のアラビア世界において継承、発展させられていました。この状況は、キリスト教の聖地であるエルサレム奪還を目論む十字軍の遠征によって、アラビア世界との接触がなされる11世紀ごろまで続きました。この十字軍の遠征の過程で、アリストテレスの知識が西欧社会にも輸入されていくのです。しかし、聖書についての学問である神学が優位だった当時の西欧社会では、聖書の記述と反する点も多々あるアリストテレスの著作に対する扱いは微妙なものがありました。例えば、アリストテレスはこの世界の起源を求めると無限後退(キリがなくなる)と考え世界の創生神話については否定的な考え方をしていました。神が万物を創造したとする聖書の世界観とアリストテレスの目的論的自然観は食い違う部分もあったのです。しかし、当時の西欧の学者たちはアリストテレスの洞察に大きな共感を抱いていました。聖書の記述とは反する点も多いが、経験からするとアリストテレスの分析や観察はとても「確からしく」思えるとされたのです。そして、それに比べて聖書に記載されている超常現象の方が「不確か」に思われました。アリストテレスの哲学と聖書を中心とする神学は、理性と信仰に関する学問として互いに融和されるようになります。そして、アリストテレスの知見が西欧社会に広く浸透していったのです。ルネサンスの発明と科学的精神の発露古代ギリシアやローマの精神を再生するという意味のあるルネサンスという時代(14-16世紀)に入ると、さまざまな発明がなされるようになりました。発明家としても知られるレオナルド・ダ・ヴィンチなどは代表的な例です。彼は人体を解剖したり、大砲を考案したり、飛行装置を考案するなど、絵画のみならずさまざまな知的探求と開発に挑戦しています。このようにルネサンスと呼ばれる時代にはさまざまな発明品が生まれています。ルネサンスの三大発明といえば「火薬・羅針盤・活版印刷」とも言われています。こうした発明を尊ぶ時代の雰囲気中で、望遠鏡などの観測器具も大きく発展していきます。望遠鏡の精度が上がったことによって、人間の目では観察することのできない正確な天体の運動なども把握することができるようになりました。そして、この天体の正確な測定から地動説を主張した人物が、ガリレオ・ガリレイです。「近代科学の父」とも言われるガリレイは、教会の公式主張であった天動説とは180度異なる地動説を主張したことにより、異端審問を受け終身刑を宣告されました。このように悲劇の人物ガリレイですが、他にもピサの斜塔から重力に関する重要な実験を行ったりなど、「実験と観察」によって、自然現象を分析し、数式へと抽象化することで、自然法則を発見するという「近代科学の精神」を体現するような人物でした。このガリレオ・ガリレイ以降、宗教的な迷信を捨て、理性の光で闇を照らすという近代科学の啓蒙精神が育まれていくことになりますが、今回の記事はここまでで終了したいと思います。近代科学の歴史については、次回の記事で解説していきます。まとめまとめましょう。科学の誕生は文明の誕生と同時期に行ったと考えることができます。しかし、文明初期の科学は実用のためという側面が強く、学問として科学的思考法を確立するものではありませんでした。知ること自体を目的にするという態度は、古代ギリシアで育まれ、アリストテレスによって結晶化れました。アリストテレスの知見は、幅広い地域へと浸透し、アラビア世界で継承されていました。その後、十字軍の派遣によって、西欧社会にもアリストテレスの知見が輸入しました。当初は煙たがれたアリストテレスの思想も、次第に受容されていき、ルネサンスにおける発明と相まって、近代科学の基本的な条件が整備されていきます。科学的な思考法と高精度の観察器具が出会い、「近代科学の父」とも言われるガリレオ・ガリレイなどの人物を生み出したのです。いまや私たちの生活には欠かせない科学ですが、科学の起源を学ぶことによって、より興味が湧くといいなと思っています。次回の記事もお楽しみに。また、ポッドキャストでも科学史に関する講義を配信しています!ぜひきいてみてください。https://podcasts.apple.com/jp/podcast/loohcs%E3%82%A2%E3%82%AB%E3%83%87%E3%83%9F%E3%83%BC/id1610246304?i=1000567117747https://podcasts.apple.com/jp/podcast/loohcs%E3%82%A2%E3%82%AB%E3%83%87%E3%83%9F%E3%83%BC/id1610246304?i=1000563297471参考ウィリアム・F・バイナム (藤井美佐子 訳)『若い読者のための科学史』すばる舎https://www.subarusya.jp/book/b524826.html池内了『知識ゼロからの科学史入門』幻冬舎https://www.gentosha.co.jp/book/b5961.html