国語って何を勉強するのいまいちよくわからないですよね。わたしたちは日々、日本語を使ってコミュニケーションをとっています。Loohcs高等学院でも「国語っていまいち何を勉強すればいいかわからない」という感想をもっている学生が多いです。Loohcs高等学院では国語を論理と物語に分けて講義をしています。今回は、国語ってそもそも何を学べばいいのだろうということについて考えていきたいと思います。

国語で何を勉強して欲しいの?

文部科学省は2022年より高等学校の指導要領を新しくすることを決定しています(いわゆる新指導要領)。特に、国語のあり方は大きく変化します。私たちの社会は変化が激しく、不確実で不安定になりつつあります。このような時代はVUCAの時代などと呼ばれています。 VUCAとは、Volatility(変動性)・Uncertainty(不確実性)・Complexity(複雑性)・Ambiguity(曖昧性)の四つの英単語の頭文字をとった造語です。

VUCAの時代において、文部科学省は

「学校教育には、子供たちが様々な変化に積極的に向き合い、他者と協働して課題を解決していくことや、様々な情報を見極め、知識の概念的な理解を実現し、情報を再構成するなどして新たな価値につなげていくこと、複雑な状況変化の中で目的を再構築することができるようにすることが求められている。」

(出典:【国語編】高等学校学習指導要領(平成30年告示)解説、p.3)

としています。

簡単に言ってしまえば、変化の激しい時代には新たな教育のあり方が求められているということです。では、そのような時代で文部科学省はどのような国語教育を推進しようとしているのでしょうか。文科省は国語という教科の目標を「知識及び技能」、「思考力・判断力・表現力等」、「学びに向かう力・人間性等」の三つの柱に設定しています(出典:【国語編】高等学校学習指導要領(平成30年告示)解説、p.14)。 そして

従来の科目構成を大きく変えて「現代の国語」「言語文化」「論理国語」「文学国語」「国語表現」「古典探究」の6つの科目編成をとりました。このうち、「現代の国語」と「言語文化」が必修科目となっています。

「現代の国語」では、読む・聞く・話す・書くの四つの技能を現代的な文章やさまざまな実用的な資料を用いることで高めていきます。「言語文化」では、古代から現代までの文学的な文章を用いて、日本の言語文化への理解を深めることを目標にしています。

「論理国語」は、必修科目で培った能力を基盤として、実社会で必要となる「論理的に書いたり、批判的に読んだりする資質・能力の育成」を目指しています。「文学国語」では文学作品の読解を通じて、「感性や情緒的な力を高め、深く共感したり想像したりして、書いたり読んだりする資質・能力の育成」を目指しています。

「国語表現」も、必修科目で培った能力を基盤として、他者とコミュニケーションをする力を育成する実践的な科目となっています。「古典探究」では、必修科目である「言語文化」で育んだ古典教養を基礎として、「伝統的な言語文化に関する理解」をより深めるための科目となっています。

従来の「国語総合」「現代文」「古典」という科目編成を大きく見直した大改革となりました。

結局、何を勉強すればいいの?

文部科学省が主導する新指導要領について見てきました。従来よりも複雑になってわかるんだかわからない教科構成ですよね。結局、国語を勉強することでどのような力が身につくのか、何をどのように勉強すればいいのかわからないと思います。 国語を勉強すればコミュニケーション能力があがるといわれても、国語を勉強しなくてもコミュニケーション能力はあがりそうです。むしろ、国語を勉強したからコミュニケーション能力が上がったという実感を持つことの方が珍しいと思います。日本の言語文化への理解を深めるというのもちょっと抽象的な気がします。

また、ネットで「国語 勉強法」など調べると「解法を覚えて、演習を繰り返す」ことが大事だと書かれていたり、「接続詞や直前の文章に注目する」などのテクニックが紹介されていたりします。

文部科学省が推進する国語教育のあり方と塾などで推奨されている受験国語のテクニックには大きな乖離があるように思います。学校で学ぶべきとされている国語の能力と塾や予備校で身につけるべきとされている国語の能力が異なるので、多くの高校生が混乱するのではないでしょうか。結局は受験で点数がとれればいいわけで、受験国語には真面目に取り組んでも、学校での国語は適当に授業を聞いて、先生が板書したことをノートにとって、そのノートを試験前に見返して、丸暗記する。そういう生徒が多いのではないでしょうか。

本当にそれでいいのでしょうか。受験国語はできても、文章を読めない・文章を書けないという人は大勢いますし、大学生あるいは社会人の大半も文章を使ったコミュニケーションが苦手なように思います。現代社会は、文書でやりとりするのが一般的です。確かに、動画や写真などの文字とは異なる視覚的メディアも多く流通していますが、それでも言葉を正確に読み、正確に書ける人がVUCAの時代云々の前に重宝されます。そう。国語を学ぶことで身につけるべきは「言葉を扱うための知識と技術」なのです。

Loohcs高等学院では、文科省のようにわかりづらい分類をするのでもなく、受験対策塾のようにテクニックに特化するのでもなく、国語を「論理」と「物語」の二つに分類し、カリキュラムを作成しています。そして、論理と物語の力を身につける上で前提となる言葉自体の知識を獲得するための「言語学」についても学んでいきます。

言葉って何だろう?

日本の教育では、言葉それ自体について学習する機会があまりありません。国語の効率的な勉強方法やノートの取り方以前に、言葉について何もわかっていなければ、いつまでたっても国語で何を勉強すればいいかわからないはずです。そこでまず、言葉とは何かということについて考えていく必要がありますね。詳しい説明は、次回以降になりますが、ここではざっくりとした解説をしていきます。

「人間は言葉を使う動物」という言い方がされることもあるように、人間の文化がここまで発達したのは人間が言葉という道具を発明したからだといえるでしょう。言葉があるおかげで、人間は初めての人とも話すことができますし、遠く離れた顔も知らない人と意思疎通もできますし、過去の人がどのようなことを考えていたのかも理解することができます。また、身の回りの事物に名前を与えることによって、感じていることや考えていることについて他人と共有することができるのです。このように、人間にとって言葉とは世界そのものといえるのです。つまり、人間は言葉を通じて、世界を認識しているのです。

言葉通じて、世界を認識するということについて具体的に話していきましょう。例えば、日本人は海藻を「こんぶ」「わかめ」「ひじき」「もずく」など様々な分類をしますが、アメリカではそのどれもが”Sea Weed”と呼ばれます。日本は海藻を様々な料理に用いるので、このように細かく分類する必要がありますが、アメリカでは海藻はほとんど食べないので細かく分類する必要がないのです。

このように、ある文化がどのような言葉の体系をもっているかによって、世界の見え方は大きく変わっていくのです。その意味で、言葉とは世界そのものとも言えるのです。このような考え方を展開した有名な人物がフェルディナンド・ソシュールという人物で、名前を聞いたことがあるという人も少なからずいるのではないでしょうか。ソシュール言語学の話は別でしますので、今回は名前の紹介だけにしたいと思います。

ソシュールの言語学の話はほんの一例ですが、このように「言葉とは何か」についてのさまざまな見解に触れることで言語観はより豊かになっていくのではないでしょうか。とってつけたような説明でもなく、受験にだけ役立ちそうなテクニックでもない、「物事の見方」を養っていくのがLoohcsのカリキュラムの特徴となっています。

論理と物語の力

「言葉は世界である」という言語観を下敷きにして、論理と物語の力が何であるかに迫っていきましょう。まず、論理とは「世界を細かく見ていくための道具」といえます。そして、物語は「世界観をつくっていくための道具」ということができます。難しい言葉を使うと、論理は分析の力・物語は総合の力ということになります。論理的思考を持っていると一般的に言われる人は、物事を細かく分類して、世界がどうなっているのかを見極め、それを適切に表現することができる人でしょう。

例えば、「勉強のモチベーションがわかない」という課題を抱えていたとしましょう。それに対して、勉強のモチベーションがわかないのはなぜか、成績が伸びないからだ、なぜ成績が伸びないのか、それは勉強の方法がよくないからだ、なぜ勉強方法がよくないといえるのか、漫然と教科書を読むだけになっているからだ。そうだとするならば、教科書を読むだけではなく、問題集も解き、わからないところとわかるところを分けた方がいいのではないか。と考えられる人は論理的といえるでしょう。

それに対して、物語の力を持っている人は全く異なる物事を結び合わせることができます。一見関係のないように思えることを結びつけて、世界全体のあり方に迫る力が物語の力なのです。

例えば、「勉強のモチベーションがわかない」という悩みに対して、親も仕事へのモチベーションがわかないと悩んでいる。大学生の姉も「大学へ行く意味がわからない」と悩んでいる。もしかすると、これは「現代社会の特徴なのではないか?」と考え、「社会の変化が激しく、価値観も流動的な社会では、人々は常に不安や悩みにさらされるのではないか」という問いに昇華することができるような人は、物語を作る能力があるといえます。

このように、世界を細かく分析し、この世界がどうなっているのかに迫るのが論理の力で、ことなる事柄を結び合わせて、この世界がどうなっているのかに迫るのが物語の力です。Loohcs高等学院は国語力を身につけるとは、とにもかくにも論理の力と物語の力を身につけることだと考えています。そのために論理的に優れている文章や文学的に優れている文章に触れ、それを読み解き、自分自身でも表現できるようなカリキュラムをつくることが大事だと考えています。


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